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2000年02月05日

杉浦清石 ロマン街道塩の道 5

  「おうめ婆さんの話」  其の四 越中さん

吹雪の日などは山から降りてくる風が強く、立ちつくして亡くなったり吹雪で道を見失い、ほうた(行方が知れない)ボッカが何人もいました。

夜道になると狼に会うこともあって、後ろに狼がついていたら知らんぷりして歩き、里に近づいたら、前を見たまま、ゆっくり歩いて「ご苦労じゃったなぁもう帰ってくれや」というと、いつの間にか狼は離れていったもんです。 襲われたという話はききません。

猿をかまって死んだ人が居るくらいなもんで、一番困るのはウルル(アブのこと)で、殺されることはないが始末が悪い虫です。

怖いといえば真名古?山というのがあって其の壁(絶壁)の下に湯が湧くので小さな集落が出来ました。 昔のことで私は知りませんがある日地面が割れる大きな音がして山が崩れ集落が無くなっていました。 そのあたりで今でも時々ニワトリの鳴き声が聞こえます。

 年代が大正になりますとボッカと問屋の立場が確率します。 問屋は納品の品種や場所などを管理できましたがボッカの方は日雇い労働者と同じで問屋の指図で荷や行き先がきまります。 今の宅配便に近い物になりました。 民家からの頼まれ配達や、商人の荷物持ちなどは臨時の仕事の内で、病人が出ると背負って町まで、というのは内職のようなものです。

それまで南に向かって歩くボッカは南から来る人には道を譲らなくても良かったのですが、この頃になるとそんなことは何時しか忘れられました。 糸魚川の街道に馬車が通るようになると富山から田植えの手伝いの女衆が来たりします。 その人達を「越中さん」と呼んでいます。

静岡の茶摘みのようなタスキ掛けで、前掛けをして脚絆を巻き、手ぬぐいで頭を巻いていました。 この人達をからかう子供の唄に、
「越中衆のフンドシは 赤黒そめて 真ん中とこらに穴あけて そこから小便 ジャーカジャカ」

越中衆は越中の田植えが終わってからやってきます。 ここで田植えして善光寺参りして帰るのです。 千国を横切り親沢を渡る善光寺街道というのが今でもあります。

以上 参考書籍「千国街道」(昔、釣行の度に泊まった宿で読み、メモをしておいたのを参考にして書きました。著者他詳細忘れました)



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