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2000年01月07日

山男魚 「鶴見川からモントレーへ 6」

95/10/14 19:59


「鶴見川からモントレ-へ」 釣りによって出会った情景と人々 その6

第六章 「渓流釣りの解禁」


渓流釣りは、この当時、昭和50年(1975)、毎年、3月1日が解禁日になっており、冬にはこの日が来るのを、一日千秋の如く、首を長くして待っている訳である。

 毎年、解禁日には、桂川の、合流と呼ばれている場所に釣りに入った。ここは、桂川の本流と杓尺流川(しゃくながし)が合流している、絶好の釣り場。ある年の解禁日、おっちゃんとその仲間、と一緒に合流に入った。

 朝未だ暗い内から入り、釣場所を確保。解禁日には釣り人が多いため、良いポイントが多くある釣場所を確保する必要がある。明るくなってから昼頃までに、鱒や山女魚を、かなり釣った。

 この時、しいさんと言う人がいて、あるポイントで、大きな魚を掛け、グイグイ、右や左に引っ張られて、なかなか上がらない。「しいさん、右だ右だ左だ左、竿を立てて、引っ張れ、のされるな、負けるな、がんばれ」夢中で、掛け声をかけた。

 やっとの思いで、上がったのは、40センチ余りの虹鱒であった。この位の虹鱒は、解禁当初は良く釣れるものであるが、しいさんの手は震えていた。

 午後からは、皆で道志の小さな名もない様な沢に行き、ここでも、山女魚がかなり釣れ、楽しい思いをした。夢中で釣りをしたのは良いが、岩の上から川の中へ、落ちてしまい、バカ長靴の中に、水が入ってしまい、その冷たいこと、非常に寒い思いをした。それでも更に釣りを続け、やっとの思いで家に帰り、すぐ風呂に入り、ホッとしたのを、おぼえている。

 釣り仲間の間で、虹鱒は、余り人気がない。又、釣ると馬鹿にされる事がある。と言うのも、虹鱒と言うのは、ほとんどが放流物で、素人でも、比較的簡単に釣れ、余り稀少価値が無いからである。

 又、食べても、そう美味しいものでは無い。但、中には、放流後、半年、一年、渓流の中で過ごし、ほとんど野生化したものもいる。こう言う虹鱒は、色も綺麗で、尻尾の先も、ピンと尖っている。食べても、肉が締まっていて、旨いものである。

この次の年の解禁日だと思うが、こんちゃんと二人で、合流に入り、この時も山女魚と虹鱒を大分釣った。この時は、かなり上流の方で、なるべく掛からないでと、願っていたにもかかわらず、45センチ位の虹鱒を掛けてしまい、やっとのことで取り込んだが、結局、竿を折られてしまった。

 この時は、予備の竿を、持って行かなかったので、折れた箇所を、ひもで巻いて、応急処置をし、この折れた竿で、更に釣り続け、それでも2~3匹釣れたものである。解禁日には、まず、間違いなく釣れる。この次からは必ず予備の竿を持って行くこととした。

解禁のときは、まだ暗い内から、出掛けて行き、懐中電灯の明かりを頼りに、川辺に降り、釣場を確保し、明るくなるのを待つ。この待つ時間がとても永く、待ちきれずに、目印に蛍光塗料を付けたものを用い、未だ暗い水面に流すが、釣れる事はなかった。

 焦ることはない。朝のこない夜は無いのであるから。・・・合流は、解禁当初は、絶好の釣場で、人も多く少しでも良い場所を確保するため、暗いうちから入るわけである。

 他の人も負けじ、と入り込み、人によっては、夜中に入り、タイヤ等燃やして暖を取りながら徹夜する人も居るくらいで、ま、年一回のお祭りみたいの様なものである。僕は、この当時、解禁日には必ず、この合流に入ることにしていた。

 3月1日あるいは15日の解禁日。これがウィ-クデイの場合は、会社から有給休暇を取って行く訳であるが、これが毎年毎年続くと、上司も呆れてほとんど公認と言うことになってしまった。ある年の解禁日は、かなりの量の雪が積もり、雪の中で釣りをしたこともある。釣れた山女魚や虹鱒が、積もった雪の上で踊っていたっけ。

 三月と言っても、それは相当に寒く、顔は毛糸で作られたマスクで覆い防寒ズボンに防寒ジャンバ-を着、ほとんど、ブクブクに着膨れになった様な状態で、釣りをするのであるから、それは大変であり、はたから見れば、おかしな姿であったろう。

 解禁の前日の夜程、楽しい日は無い。明日に遠足を控えた、子供の様である。竿、針、目印、重り、釣り糸、魚籠、長靴、ナイフ、エサ(いくら、みみず、ブド-虫)等々全部出して、忘れ物が無いかどうか何回も確認し仕掛けをせっせっと作る。実に楽しい作業であった。

 マスクは赤と紺色の毛糸で作られたもので、鼻と口の所が開いていて、あとは、頭からすっぽり被れる様になっているもの。防寒着は淡い黄色のナイロン製で、ズボンと上着がセットになっているもので、防水加工がしてあるもの。

 竿は、色々なものを使った。始めは、親父の形見の竹竿を。調べてみると、この竿はとても高価なことが判ったので、ほんの少ししか、使わなかった。その後グラスロッド、カ-ボンロッドへと変わって行く。

 渓流釣りの解禁は、だいたい、三月始め頃からとなっているが、岐阜県愛知県寒狭川は2月1日、長野県は2月15日となっており、3月の解禁が待って居られず、愛知県の寒狭川や長野へ出掛けたこともある。

 しかし、濡れた糸は凍り、濡れた石の上を歩くと、長靴の裏に貼ってある滑り止め用のフェルトが凍って、石にへばり付く程、寒く釣りどころでは無かった。

 水が緩むまで待とうではないか! 気持ちは良く分かるが。

                             〔山男魚〕




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