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2000年01月06日

山男魚 「鶴見川からモントレーへ 5」

95/10/13 22:57

「鶴見川からモントレ-へ」 釣りによって出会った情景と人々 その5

第五章 「渓流釣りの師匠」


ある日、僕の職場に移って来た、おっちゃんに出会う。おっちゃんは、当時渓流釣りの名人で、この人に、渓流釣りを、教えてもらうことになる。おっちゃんに、最初に、連れて行ってもらったのは管野川支流の、白石沢の岩魚釣り。シマッピ-が同行。名の通り、白い石が、多くころがっている渓流で、水量はそう、多くないが、落差が大きな、非常に綺麗な渓。

 とにかく、山道を車で行ける所まで入り、後は、獣道の様に狭い山道を、トコトコと三十分程歩いて、釣場へ着く。時期は、春五月(昭和48年頃)、周りには、山吹の黄色い小さな花が咲き乱れ、木々の緑も淡い緑色に染まって、近くでは、ウグイスや、名前も知らない鳥たちが鳴き、空は澄み、最も気持ちの良い季節であった。おっちゃんの後を、親父の形見の、二間半の竹竿と、木製の魚籠を持って付いて行く。

 エサはナデムシ(カゲロウの幼虫、別名チョロムシ)。-- このナデムシを捕るのが、難しく、又、変っている。まず、タオルと、プラスチックの茶碗を用意する。川の流れの中に、丸くて、表面がつるつるしている様な、大きめな石を探す。水が、なるべく早く、石にぶつかって、流れている様な石が良いタオルを手に巻いて、これを濡らして、水の中で、この石の表面を撫でる。

 これで、石の表面に、へばり付いていた虫がタオルに付いてくる。流れの中で片手にタオル、片手に茶碗を持っているので、両手がふさがっている。従って、捕った虫は、口で捕って、これを、茶碗に移す。舌の上に乗った虫の感触が気持ち悪い。こうして捕れた虫を、固く絞ったタオルの上に、ならべ、タオルをたたんで、出来上がり。撫でて、捕るので、タデムシと言う。

 このナデムシの捕り方もおっちゃんに教えてもらった。-- 渓の流れに、小さな木の橋がかかっている。ここから、釣り登って行った。途中、小さな堰堤の下の、深みを見つけ、「おい、やおめちゃん、ここで竿を出してみろや、絶対に岩魚がいるずらよ」と言われ、おずおずと、針に、エサのナデムシを付けちょうちん仕掛けの、仕掛けをそっと振り込む。

 沢は、木やヤブが多いので道糸の長さを、1~1.5メ-トルぐらい、極端に短くして、木やヤブに、仕掛けがからむのを防ぐ。丁度、ちょうちんをぶら下げている様な恰好に似ているので、これをちょうちん仕掛けと言う。又、渓流釣りでは、浮きの代わりに目印を使う。

 目印はセルロイドに色を付けた物、水鳥の羽、煙草のフィルタ-等を使う。この時は、煙草のフィルタ-を、小さく切って使った。この目印が流れに乗って、流れて行き、巻き込みの所で、くるくると舞う。この時、手にグゥグゥ-と引く、当たりがあった。

 「岩魚の場合、当たりがあっても、すぐに合わせてはいけない。岩魚が、エサを充分、喰え込んでから合わせろ」と聞かされていたが、この時は、頭に血が登ってしまい、そんな忠告はすっかり、忘れていた。岩魚が、グゥグゥ-と引く感触が、竿を通して、伝わってくる。竿を上げて見ると、23センチの岩魚。岩魚が空中で舞う。僕にとっては、生まれて始めて、釣った岩魚。やったぜ!

 針は、ノド深くささって、簡単には、外せそうに無い。竿の穂先を抜いておっちゃんの所へ持っていき、「おっちゃん、やった、やった、やった、針、はずしてんねん、はずしてんねん、」(どう言う訳か、当時、ここでは、関西弁が流行っていた。)僕は、完全に興奮状態。頭の中や、体の中に、子供や少年の頃、持っていた、素晴らしい風が、吹き込んで来る様であった。すばらしかった。

 木々は美しく、山椒の香りが漂い、山吹の黄色い花が咲き、木々を通してさしてくる光は矢の様であった。この時の、嬉しそうな、微笑みに満ちた、おっちゃんの顔が目に浮かぶ。 釣られた岩魚は針をのど深く飲み込んでおり、はずすのに一苦労、岩魚の歯は鋭く、ギザギザで、おっちゃんの指先は傷だらけになってしまった。

 この様に、山深い渓では、竹のつなぎ竿は使いにくく、いちいちたたんで移動しなければならない。このため、すぐ、振出式の、4.5メ-トルの、グラスロッドを買いに行った。この当時は、まだ、カ-ボンロッドは登場しておらず、かなり重い竿であった。カ-ボンの登場は、この後、二年位経ってからであろうか。

この岩魚釣りを機に、毎日の様に、岩魚あるいは山女魚を狙って、時には、会社の始まる前の朝早く、時には、会社の終わった後の夕方、菅野川に、おっちゃんと一緒に通った。始めは、おっちゃんの魚籠持ちで、おっちゃんの後について、
「ホレ、こう言うふうに、流れが巻き込んでいる所がポイントっちゅうわけ」とか、
「エサはよう、こう言うふうに、流すと釣れるっちゅうわけ」
と目の前で、みごとに、25センチ位の、山女魚を釣って見せる。

 こんな具合に、実習が始まり、2~3回、この様なことが続いた後、いよいよ一人で釣りをすることになった。菅野川中域の、道志に通ずる道沿いに、石垣があり、その石垣に、流れがぶつかり、良いポイントを造っている。エサのナデムシを、三匹つけて、流れの上の方へ、そおっと、流してやる。

 目印が、水面から10~20センチ位上を、流れに乗って、静かに流れて行く。その目印が急に止まってしまった。「おかしいぞ、何か、おかしいぞ」・・・「針が石にでも、引っ掛かってしまったんだろうか?」一人呟く。

 「とにかく、竿を上げて見よう」とばかりに、竿を上げ始めて見ると途中で魚が掛かった確かな手応えを感じる。上げて見ると、何と、20センチ余りのきれいな山女魚が掛かっているではないか。山女魚を手にした、手がふるえていた。これが始めての山女魚である。これから、気が狂った様に、菅野川通いが始まった。

管野川の上流近くに、こおさんと言う、おっちゃんの友人がいた。こおさんも渓流釣りの名人で、毛針を振らしたら、この辺では、この人の右に出る人は居ない、と言う人物で、半分農業、半分プレス作業等の内職、をしていた。

 この、こおさんからも、釣りの事を、色々教えてもらったり、「今日は、上より下の方が良いずら」とか「今日は、池の鯉が騒いでいるから、当たりは多いぞよ」とか「昨日は、前のドンドンで、誰々がでかいのを、釣ったぞよ」とかの情報を、教えてもらった。

 時には、釣りの前、時には釣りの途中、時には釣りの終わった後に、こおさんの家に寄り、奥さんにお茶やお茶代わりにお酒、等だしてもらったものである。おっちゃんにしてもこおさんにしても、酒が飯より好き、と言うタイプの人種。

 ある時、釣りに入る前、おっちゃんと二人で、「釣りの状況を聞こう」と朝早く、こおさんの家に寄ったことがある。 「昨日、雨がふって、水量が増えているし、水が濁っているんで、今日、エサはミミズがいいずら。おらんちの家から、二百メ-タ-ばか下ったとこから、釣り登ってくればいいべ」とこおさん。

 「よし!・・・ 水量、ササニゴリ、今日は大物が出そうだ」と内心思った僕等が、早速出掛けようとすると、「そんなに、あわてなくてもいいずらまだ早いから、お茶代わりに一杯ひっかけてから、いけや」と言うわけで、朝早くから、酒盛りが始まってしまい、飲んだくれて、釣りどころではなくなってしまった。結局、夕方まで、寝かせてもらって、家に帰ったこともあった。

 この間に、聞かせてもらった、渓流の話、怪談じみた話。例えば、・・こおさんの家から、十分ばかり歩いた所に「かっちゃぁ石」と言う、縦3メ-トル横五メ-トル程の、大きな石があり、この石に流れがぶつかって、水量、流れとも申し分ない良い淵を造っている。 ここは、夕方から夜にかけて、大物がつれる有名なポイント。

 ある日、こおさんは、このポイントに、夜釣りに行き大物を含めて、かなり釣った。「さて、帰ろうべぇ」と魚籠を持って、帰ろうとしたが、あたりは真っ暗。小さな懐中電灯の明かりを頼りに、山道を家路に急ぐ。トコトコと歩いていると、どうも姿は、はっきりしないが、若い娘がついてくる。

 立ち止まって、振り返ると、娘も止まる。気色が悪くなって、足を早めた途端、その娘が急に近づいてきて、なんとも、はや、恐ろしい形相で、「魚、おいてけ、魚、おいてけ-、魚、おいてけぇ-」と叫びつつ、今にも、飛び掛からんとしている。 こおさんは、腰が抜ける程、びっくりし、あわてて、魚籠を放りだし、逃げて帰った。

 翌朝、その場所へ行って見ると、食い荒らした魚が散らばっており、どうやら、これは、狐の仕業であったらしい、と言うことがわかった。(これは本当にあった話の様で同じ様な目にあっている人が何人かいた。)

・・この話をきいてから、一人で夜釣りに行くのはやめにした。その他、山深くで、山姥にあった話。太さが20センチ位あり、胴から下半分が無く、その切れ目が、カサブタが固まった様になっている「グリグリ」と呼ばれる、蛇の話。

 その他、色々な渓流釣りのこと、山や渓に咲く花、山菜、毒草、たぬき、狐、むささび、昆虫、等、動物や植物の話を、聞き飽きる事はなかった。実に楽しい一時であった。

 仕事のこと、これから、過ごして行かねばならない人生社会や政治、もやもやしたことは、全て忘れてしまえた。おっちゃんにしてもこおさんにしても、それぞれの人生を抱えて生きていたと思うが、この時は、全て忘れていた様に思える。

岩魚や山女魚の、渓流釣りの魅力に取りつかれ、毎週末になると、早起きし管野川へ通う。ベレット1600GTに乗って。この車は、スポ-ツタイプの車で、車高が低く、釣りには、およそ似合わない車であったが良く活躍した。

 渓流沿いの山道を、林道だろうが、凸凹道だろうが、かまわずドンドン走っものだから、マフラ-は折れるは、床に穴が開きそうになるは、石にぶつかってバンパ-は曲がるは、ブッシュでボディには傷がつくやら、可哀そうな目に合わせてしまい、申し訳なかったが、この酷使に、充分に耐えたタフな車であった。--今でも、山道に駐車した、ベレットの写真が残っている。

                              〔山男魚〕



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