2000年02月03日
杉浦清石 ロマン街道塩の道 3
「おうめ婆ちゃんの話」 其の二
「少女の頃」
大網は山の中ですから田植えも越中より遅く、あちらは米どころで沢山の馬使って田をうない、田植えが終わると私の村へ五・六頭の馬を引いてきて田のある家に預けて行きます。
次に越中から引き取りにくるまで田をうなうのに馬を使わせて貰うのですが、 そのかわりその馬を大切に育てます。 越中の人は 預けている間はマグサの心配はないのでお互いに助かるのです。
春になって私たち子供が野山で遊んでいるとき、オオカイド(大街道)から何頭かの馬を曳いてくる人を見つけると、大きな声で「エッチューウマきたぞー」 と、いち早く知らせたもんです。
田圃に水が引けたのと越中馬のおかげで 今では米ばかり食うわけにはゆかないが、弁当の飯に困ることもなくなり、節約すれば売って小使いにする位の余裕ができました。
こんな所でしたから、このあたりの人の結束は固く、「ヤウチ」と云って、ご本家さんを中心に祝儀不祝儀にはお互いに助け合います。
遠くの親戚よりもずうっと便りになって、「血の道離れても、ヤウチは離れない」と言い聞かされ、その付き合いはいつまでも大切にしなければいけない、 と教えられたものでした。
雪が降って凍った田圃は子供の良い遊び場でした。 そんな所をわたって歩く のをシミワタリ(凍み渡り)と言って普段遊ぶと叱られる所で遊べます。 しかし子供の頃は何といっても春の来るのが一番待ち遠しかったのです。
雪が溶けて旅人の数がだんだん増えてくると、それに混じって「しょいあきんど」(行商人)も来ます。 雪の早く消える海辺に近い里の方では春も早く来ますが、ここはそれよりも一月も遅れて花が咲きます。
その頃になるとオオカイドを籠に天秤棒を通して、大きな声で何か言いながら 売りにくるのです。
「アメー・アメー・ヨカヨカアメー」が飴屋で「オヒナ・ヒナヒナ」がデク売り(土で作った人形・土偶)、夏も近づくと「キンギョーエ・キンギョー」の
金魚売り、他に「ドッケシャー・いらんかね」の毒消し(薬)売りやダルマ売りも来ました。
私たちに人気のあったのはデク売りで、素焼きの素朴な人形は赤・青・緑の色付けがしてあって可愛いものです。 その人気の秘密は銭が無くても髪の毛と 交換して貰えたからで、沢山あればそれだけ高い(高価)人形と換えてもらえました。
お金なら勿論買えますが、今のように髪の毛を切るということは無かったので、 紙を梳かしたときに出る屑毛を大切に袋にしまっておき、デク売りを待ったものです。
その他「ゴマメ売り」(ゴマメを含むニシンなどの干物)・「カラツ売り」(唐津・瀬戸物)等オオカイドには良く物売りが通ります。 カイド筋にある家はよいけれど山裾の家に住む子はたいへんで、いち早くその 声を聞き分けて、飛ぶように駆けながらカイドへ下ります。
滅多には行かれませんが、糸魚川の朝市に行くのも楽しみの一つで、村のカァチャンたちが日を決めて誘いあわせ、畑の野菜や僅かな米・を背負って夜中のうちに山を下ります。
これは女の仕事、というよりは少しの小使いを得て、それで欲しいものを買ってくるのでね糸魚川の魚と交換することもあります。 荷を少しでも背負えるようになると一緒に連れて行って貰え、帰りにトットコ饅頭を買ってもらいました。
トットコというのは鳥のことで、米の粉で鳥や動物を型取りしたマンジュウで 十銭も買えば良い土産になります。 よけいに売れたときは布ヌノや頭に飾るもの(櫛等)や珍しい小物を買ってきました。
衣料品も背負って売りに来たり、町へ出る人に頼んだりして買えるのですが、自分で選ぶことの出来る朝市に出ることが母にしても楽しみの一つだったのでしょう。
この頃は姫川の崖の下を通るオオカイドを特別に「セトの道」(瀬戸の道・狭い道・セバットとも云う)と呼び、こっちの方がウルル(アブ)に見舞われることが少なく、根小屋(現存・地名)まで行けば乗り合い馬車や人力車がありました。
これを利用することはあまりありませんが、この道の方が大網峠を越すよりも楽だったのです。
このあたりの村では牛の背で荷物を運んで銭を貰って生活をしている人が沢山いましたが馬方は大町の方にしか居なかったようです。 登り下りの多い山道や、沢や川に架けたミノタ橋(頑丈な唐松や杉の丸太を選んで二本川に渡し、その両端を石で止め、数枚の横板を渡した簡単な橋)を上手に渡れるのはヒズメの割れた牛で、馬は丸太を巧く渡れません。
雪が降るころになると越中からの荷を西に運ぶのに牛が使えなくなるので、人 が荷を背負って運ぶボッカ(歩荷)が頼りになります。 爺様も若いときはボッカに出たそうですが、私の父も農作業の暇なときはボッカをやりました。
ボッカはジチナシ(実無し・物事を考えない人)でも出来る、といってこのあたりの若いものの良い収入源になりました。
続く
~清 石…≧゜ゝ~<
「少女の頃」
大網は山の中ですから田植えも越中より遅く、あちらは米どころで沢山の馬使って田をうない、田植えが終わると私の村へ五・六頭の馬を引いてきて田のある家に預けて行きます。
次に越中から引き取りにくるまで田をうなうのに馬を使わせて貰うのですが、 そのかわりその馬を大切に育てます。 越中の人は 預けている間はマグサの心配はないのでお互いに助かるのです。
春になって私たち子供が野山で遊んでいるとき、オオカイド(大街道)から何頭かの馬を曳いてくる人を見つけると、大きな声で「エッチューウマきたぞー」 と、いち早く知らせたもんです。
田圃に水が引けたのと越中馬のおかげで 今では米ばかり食うわけにはゆかないが、弁当の飯に困ることもなくなり、節約すれば売って小使いにする位の余裕ができました。
こんな所でしたから、このあたりの人の結束は固く、「ヤウチ」と云って、ご本家さんを中心に祝儀不祝儀にはお互いに助け合います。
遠くの親戚よりもずうっと便りになって、「血の道離れても、ヤウチは離れない」と言い聞かされ、その付き合いはいつまでも大切にしなければいけない、 と教えられたものでした。
雪が降って凍った田圃は子供の良い遊び場でした。 そんな所をわたって歩く のをシミワタリ(凍み渡り)と言って普段遊ぶと叱られる所で遊べます。 しかし子供の頃は何といっても春の来るのが一番待ち遠しかったのです。
雪が溶けて旅人の数がだんだん増えてくると、それに混じって「しょいあきんど」(行商人)も来ます。 雪の早く消える海辺に近い里の方では春も早く来ますが、ここはそれよりも一月も遅れて花が咲きます。
その頃になるとオオカイドを籠に天秤棒を通して、大きな声で何か言いながら 売りにくるのです。
「アメー・アメー・ヨカヨカアメー」が飴屋で「オヒナ・ヒナヒナ」がデク売り(土で作った人形・土偶)、夏も近づくと「キンギョーエ・キンギョー」の
金魚売り、他に「ドッケシャー・いらんかね」の毒消し(薬)売りやダルマ売りも来ました。
私たちに人気のあったのはデク売りで、素焼きの素朴な人形は赤・青・緑の色付けがしてあって可愛いものです。 その人気の秘密は銭が無くても髪の毛と 交換して貰えたからで、沢山あればそれだけ高い(高価)人形と換えてもらえました。
お金なら勿論買えますが、今のように髪の毛を切るということは無かったので、 紙を梳かしたときに出る屑毛を大切に袋にしまっておき、デク売りを待ったものです。
その他「ゴマメ売り」(ゴマメを含むニシンなどの干物)・「カラツ売り」(唐津・瀬戸物)等オオカイドには良く物売りが通ります。 カイド筋にある家はよいけれど山裾の家に住む子はたいへんで、いち早くその 声を聞き分けて、飛ぶように駆けながらカイドへ下ります。
滅多には行かれませんが、糸魚川の朝市に行くのも楽しみの一つで、村のカァチャンたちが日を決めて誘いあわせ、畑の野菜や僅かな米・を背負って夜中のうちに山を下ります。
これは女の仕事、というよりは少しの小使いを得て、それで欲しいものを買ってくるのでね糸魚川の魚と交換することもあります。 荷を少しでも背負えるようになると一緒に連れて行って貰え、帰りにトットコ饅頭を買ってもらいました。
トットコというのは鳥のことで、米の粉で鳥や動物を型取りしたマンジュウで 十銭も買えば良い土産になります。 よけいに売れたときは布ヌノや頭に飾るもの(櫛等)や珍しい小物を買ってきました。
衣料品も背負って売りに来たり、町へ出る人に頼んだりして買えるのですが、自分で選ぶことの出来る朝市に出ることが母にしても楽しみの一つだったのでしょう。
この頃は姫川の崖の下を通るオオカイドを特別に「セトの道」(瀬戸の道・狭い道・セバットとも云う)と呼び、こっちの方がウルル(アブ)に見舞われることが少なく、根小屋(現存・地名)まで行けば乗り合い馬車や人力車がありました。
これを利用することはあまりありませんが、この道の方が大網峠を越すよりも楽だったのです。
このあたりの村では牛の背で荷物を運んで銭を貰って生活をしている人が沢山いましたが馬方は大町の方にしか居なかったようです。 登り下りの多い山道や、沢や川に架けたミノタ橋(頑丈な唐松や杉の丸太を選んで二本川に渡し、その両端を石で止め、数枚の横板を渡した簡単な橋)を上手に渡れるのはヒズメの割れた牛で、馬は丸太を巧く渡れません。
雪が降るころになると越中からの荷を西に運ぶのに牛が使えなくなるので、人 が荷を背負って運ぶボッカ(歩荷)が頼りになります。 爺様も若いときはボッカに出たそうですが、私の父も農作業の暇なときはボッカをやりました。
ボッカはジチナシ(実無し・物事を考えない人)でも出来る、といってこのあたりの若いものの良い収入源になりました。
続く
~清 石…≧゜ゝ~<
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Posted by nakano3 at 10:12│Comments(0)
│「えんぴつ」より